「シルヴァン・ショメ」というフランスの監督の名を知ったのは、どこかで読んだ映画監督のインタビュー記事がきっかけでした。
日本を代表するアニメーション映画監督である、今敏氏へのインタビューでたしか、最近すごいと思ったアニメーションとか、絵とかはありますか?というような質問だったかと思います。
その問いに対して、「ベルヴィル・ランデブー」という映画の絵の描画力に驚いた。というようなコメントを返していたので、
「今敏さんが言うくらいだからすごいんだろうなー」という能天気な気持ちで記事を読んだと思います。
ベルヴィルの存在を忘れかけたころ、Amazonプライムに「イリュージョニスト」というアニメ映画を見かけます。監督名は
シルヴァン・ショメ
「あ、今敏さんが言ってた監督の作品だ」と
さっそく閲覧したので、感想を書いていきたいと思います。
と、その前に映画の詳細はこちら
・配給はクロックワークスと、三鷹の森ジブリ美術館
・日本公開は2011年です。
映画の詳細はクロックワークスのサイト内にて
映画『イリュージョニスト』予告篇
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あらすじ
ロックやTVが世界を席捲し、時代が激変しつつある1950年代のパリ。
昔ながらのマジックを披露する初老の手品師タチシェフは、かつての人気をすっかり失い、場末のバーでドサ回りの日日々。ある日、スコットランドの離島に流れ着いた彼は、やっと電気が開通したばかりの片田舎のバーで、貧しい少女アリスと出会う。手品師のことを何でも願いを叶えてくれる“魔法使い”と信じ、島を離れるタチシェフを追うアリス。そして、彼女に生き別れた娘の面影を探すタチシェフ。
2人は言葉が通じないながらも、エジンバラの片隅で一緒に暮らし始めるが…。
Copyright©THE KLOCKWORX Co.,Ltd. All Rights Reserved.サイトより引用
とあります。
まず最初に感じたこと
芸術である。
月並みなコメントなのは重々承知しております。はい。
何が言いたいかというと、商業的な目的で作られているエンターテイメント性の強い作品ではなく、芸術作品としての強い意向が感じられる。
という事です。
もちろん映画なので商業的な部分をないがしろにしているという事はあり得ないとは思いますが、それでもこの映画は、数少ない芸術作品としてのアニメ映画なのだと。愛おしい気持ちになりました。
※決して商業作品否定派という事ではないですよ。
プロではないと言え、絵を描く人間の端くれとして、こういう本気の勝負が出来る人ってやっぱかっこいいですよね。本当に。
都合の良い事言ってないでブルーレイでも購入しろよと言われそうですが。その通りですね。
哀れな老いぼれ手品師
映画の初めは小さなライブハウスなどに地道に営業を行って日々の生活費をどうにか稼ごうとする老いたマジシャンの日常が描かれます。
日銭という言葉がぴったりな、生活ができるだけの資金でどうにか食いつないでいる時代遅れの手品師。
アリスという名の少女
ある日中地方のバーでの営業が決まり、小さなバーで手品を行います。
そしてこのバーで働いていた女の子、アリスが手品を魔法と思っているのか、タチシェフにずっとついてくるようになります。
アリスを連れているせいで、自分の生活は圧迫されるうえ、アリスは魔法と思っているのか、平気で高いものをねだるので生活費を稼ぐため、タチシェフは夜にバイトをする始末。
抗うことのできない時代の波
途中同じ舞台に立っていた道化師が、人生の辛さから首を吊ろうとするシーンがあります。時代の波に流され、行き場を失ってゆくエンターティナーたち。
救いようのない悲しみと、諦めきった表情があまりにも切なくて、悲しい気持ちになりました。
結局、タチシェフも時代の波には逆らえず、手品師を辞めてしまいます。
時代遅れの奇術師
結局、救いなど何もなく、抗うこともできないまま時代に淘汰されてしまう様が非常にシュールで悲しい。そんな作品でした。
一つ気になったのは奇術師という言葉。イリュージョニストを直訳すると奇術師となるようです。マジシャンではなく、イリュージョニスト。
聞きなれないですよね。日本だと手品師の方が一般的な気がしますが、タイトルは奇術師なんですね。
奇術。イリュージョン。もしかしたら、単なるフランスでの一般的な呼び名がイリュージョニストなだけかもしれませんが、
僕個人としてはこのイリュージョニストっていう印象は主人公タチシェフにくっついてきた女の子アリスから見た視点での意味合いなのかもしれないと思ったりしました。
「手品」じゃないんです。魔法なんです。アリスからみたタチシェフの見せる幻想は。
その夢を壊さないようにとアリスの気持ちにこたえようとするタチシェフ。それが自分の首を絞めているのを知ってもなお、
アリスの見る幻想に付き合うタチシェフの気持ちは「優しさ」なのでしょうか。
それとも「憐み」だったのでしょうか。
まとめ
緩急が少なく淡々と衰退していくイリュージョニストの哀愁は、言葉では言い表せないくらい物悲しく、
そして残酷なものなのですが、幻想を信じてやまないアリスが愚かなようで、でもタチシェフにとっては救いのようで。
もどかしい気持ちを感じながらも、でもどうすることもできないのだと理解せざるを得ない怒ることのできない寂しさを感じさせてくれる作品でした。
個人的には非常に多くの人に見てほしい作品ではあるものの、万人受けはしないだろうな。というのが本音です。