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【感想】小説BEATLESS-ビートレス-

今回の記事は小説版「BEATLESS」の感想を書いていこうと思います。

BEATLESS公式サイト

MEMO
  • 長谷敏司氏による作品で、単行本化は2012年、2018年に文庫本化されています。
  • 2018年にアニメが放送されました

ネタバレご注意!

本記事では内容に触れております。まだ未読の方はご注意ください!

早速ですが、感想を書いていきたいと思います!

見ようと思ったきっかけ

イラストレーターredjuice氏のイラストで、作品の存在自体は以前からなんとなく知っていたのですが、興味を持ったのはアニメの存在でした。Amazonプライムで配信されていたため、何気なく1話を見た僕は

「かっけぇええええしかわいいいいい!!」

完全に心を掴まれていました。笑

アニメを見進めていくうちに、結構内容が難解で、「実はこれ、結構なSFなんじゃないか?」と思うようになりました。

小説が原作ならとりあえずそれ読んでみるか。と思って本屋に足を運んでもなかなか置いておらず
(※とりあえず立ち読みして確認したい派)

そんな中、文庫本の発売発表!!

おおおおー!待ってたぜBEATLESS!!

さよ朝を観た帰りに寄った新宿の紀伊国屋で速攻見つけて上下巻購入!!
と、いうわけで感想を書いていこうと思います。

あらすじ

君は、僕にアナログハックしたんだろうか?
100年後の未来。社会のほとんどをhIE(フューマノイド・インターフェイス・エレメンツ)と呼ばれる人型アンドロイドに任せた世界では、人類の知恵を超えた超高度hIEが登場し、人類の技術を遥かに凌駕した物資
《人類未到産物(レッドボックス)》が生まれ始めていた。17歳の遠藤アラトは4月のある日、舞い散る花びらに襲われる。うごめく花びらからアラトを救っ
たのはレイシアという美しい少女の「かたち」をしたhIEだった。

©KADOKAWA CORPORATION

まず最初に思ったこと

ガチSFや。

ミーハー甚だしい僕ですが、SFはすごく好きなんです。
なので過去に何作かアンドロイドの出てくるSF作品を観たことがありましたが、BEATLESSに出てくる「hIE」の概念は初めてでした。

hIEって?

脊椎動物のように固有の脳というか、メモリに当たる部分を自信の体に搭載しておらず、クラウド上に存在している行動管理システムによって制御されている、人型のロボットです。作中ではHumanoid Interface Elementsと呼ばれていて、その頭文字をとって「hIE」。

なんでhだけ小文字なんでしょうね。と思って調べてみたんですが、それらしい情報はなく。でもiPhoneとか、iPS細胞みたいに、頭文字を小文字にしているキーワードたちがなぜそう名づけられたのかという理由を知ることが出来ました。

これは文字の頭文字を小文字にする事で、印象に残るようにしているそうです。ブランディングとでもいうのでしょうか。

「へぇー」と思ってしまいました。確かに、「IPS」や「Iphone」みたいなかんじだったら、平凡というか。特に頭文字をとっている略称なんかでは特に他の同じ略称に埋もれてしまう危険性もありますしね。キャッチコピー的な印象の操作の仕方なんですかね。まさにアナログハック!

BEATLESSのすごい所

話はそれましたが、通常アンドロイドというと、ネット接続はされていたとしても、その動作だったり、思考を司るAIは個々の脳部分に搭載されていて、ネットワーク非接続でも独立して行動できるっていうものが一般的に描かれるアンドロイド、ガイノイドだと思っていたんですよね。

hIEの場合、常に行動管理システムがネットワーク接続しているわけなんで、ハッキングの対策とか、受信する側の無線接続が常に可能なネットワーク環境の整備をする必要があるので、デメリットも結構少なくないと思いましたが、そういう発想もあるのかと驚かされました。
※システムの根幹にかかわるようなAIはネットワークからは隔離されているようなので、致命的な事故は避けられる仕組みとなっているようでした。

面白いのは、hIEは「」を持っていないので、「感情」がないんです。「表情」を形作っているのは、行動管理プログラムが人間に対して返すべき表情として、適切と判断したものを、その時々によって返している。というプログラムなんです。

つまり、僕たちが小さいころから慣れ親しんでいる「ドラえもん」のドラえもんや、「スターウォーズ」に出てくる「C3PO」「R2D2」は心があるっぽいのですが、BEATLESSはそれをはっきり「ない」としているわけなんです。

BEATLESSの世界では、まだ人間は人口の「」の発明に成功していないという、明確な前提があるわけです。

でも、よく考えたら人間も無意識というだけであって、感情が動く理由というのは必ずあるわけなので、
人間の感情も高度なプログラムと考えられなくもないですよね。

そうなると極論は人間由来か、機会由来かの違いとなり、結局人間とロボットの明確な違いとは攻殻機動隊のテーマでもある「魂」の所在という、哲学的な話になってきてしまうような気がしました。

主人公のアラトはすぐに人を信じるという人の良さから「チョロい」と言われていますが、人にもロボットにも「同じ」ように接している姿が印象的なキャラクターです。

魂のあるなしがより曖昧にになってゆく人とロボットの垣根を、随分早い段階から無いものとして考えることのできる人間こそが、BEATLESSの世界の人類の未来にとって、非常に重要な概念の発生を意味しているのだと思いました。

印象に残ったシーン

レイシアとアラトの絆が描かれているシーンは印象的なのですが、やはり僕は紅霞が機能停止覚悟でPMC(民間軍事会社)と戦ったシーンです。

「人間との競争に勝つための道具」である紅霞が、自分の戦いを中継することで、人間…というよりケンゴに対して「抗うこと」つまり、戦う理由は自分で決めろ。
ということを必死に伝えようとしていたように思いました。

魂はないはずのhIEですが、紅霞はケンゴと会話をしている時にどうしても感情を持っているような気がしてなりませんでした。

決して裕福ではない家庭、いつの間にか親友のアラトや遼に置いていかれてしまった劣等感と友情のジレンマに揺れるケンゴに、自分の境遇を重ねていたのでしょうか。

「人間の真似」という言葉を使っていたシーンがありましたが、劣等感なんて人間臭い行動をしていたのは紅霞だけではないでしょうか。

だからこそ人の心の痛み、弱さを理解していた、あるいは理解しようとしていた唯一のhIEだったように思います。

紅霞が最後ケンゴに伝えた言葉「もし、私の取り分が少ないのが気になるなら、私のことを覚えてくれていたら、それでいい。」というセリフ。
相手を気遣い、かつ控えめな紅霞の望みがとても印象的でした。

最後に

アニメ版で理解が追い付かなかった部分、気になっていた部分が掘り下げられていたりと、やはり小説版の魅力は情報量の多さですね。

特にBEATLESSのようなSF作品は、迫力のあるアニメのアクションシーンと併せて、ストーリーをより理解できる小説版を見てみると、より世界観を楽しめることができるのではないでしょうか。

小説版、というか原作の「BEATLESS」非常に良い作品でした。

気になった方は、是非読んでみていただけたら幸いです。

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