今回は小説「また、同じ夢を見ていた」の感想を書いていこうと思います。
・住野よる氏による作品で、2018年8月に発売されています。
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文庫版『また、同じ夢を見ていた』住野よる
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ネタバレご注意!
本記事では内容に触れております。まだ未読の方はご注意ください!
早速ですが、感想を書いていきたいと思います!
「また、同じ夢を見ていた」を読むきっかけ
先日、住野よる氏の作品「君の膵臓を食べたい」の映画を観てきたのですが、映画を観ることに決めた際、作品を読んでおこうと思ったので、原作も読んだんです。
その時に感じた温かい感じがまた味わいたくて、別の作品を読んでみようと思いました。
この作品に興味はあったけれどどんなものか知りたいって方、あるいはすでに読んだけど他人の感想も知りたいという方、ぜひ読んでいって頂けたら幸いです。
ではさっそく小説の感想に入っていこうと思います。
まず最初に感じた事
温かい
やっぱり住野氏の小説って温かいんですねー。
キミスイでも感じましたが、要所要所に見られる登場人物の気遣いというか、配慮がすごく行き届いていて、
とても温かみを感じますよね。読んでて素直な気持ちになれるというか。
今作、「また、同じ夢を見ていた」についてはとりわけ斬新な話ということもなく、次の展開が気になってしょうがない。みたいなものがあるわけではないのですが、
でもやっぱりどこか落ち着くんです。それは住野氏の文章の運び、言葉の選び方、登場人物の思考によるものなのかなと思いました。
あの温かみに触れたくて、ほかの作品も読みたくなってしまうのだとすれば、それは住野氏の文章の、作品のファンということになるのかもしれません。
それだけ、魅力のある作品でした。
あらすじついて
「人生とは和風の朝ごはんみたいなものなのよ」小柳菜ノ花は「人生とは~」が口癖のちょっとおませな女の子。ある日、彼女は草むらで一匹の猫に出合う。そしてその出会いはとても格好いい”アバズレさん”、手首に傷がある”南さん”といった、様々な過去を持つ女性たちとの不思議な出会いに繋がっていき__。
文庫本のあらすじより引用
物語の大筋
この作品は物語の内容を読み進めてくとだんだん謎が解けていくタイプの構成となっております。
アバズレさん、南さん、おばあちゃん。大きな登場人物はこの3名なのですが、それぞれ本人の名前が出てきません。というのは大きな理由があるのですが、それはネタバレとなるので後のほうに書きます。
アバズレさんは表札に「アバズレ」と書いてあったから、菜ノ花はその女性の名前だと思い、アバズレさんと呼び始めます。
南さんは制服に「南」と書いてあったから南さん。おばあちゃんは…おばあちゃんだからです。笑
それぞれの登場人物は自分の人生を悔いてこそいないものの、どこかやり残したことを感じています…というよりは、やり残した事に目を向けないようにして生きているようです。
菜ノ花は学校に友達を作るつもりがないため、尻尾のちぎれた黒くて小さな友達といつもその3人のいずれかを訪ねるのですが、
通っている学校の宿題である「幸せとはなにか」の答えを見つけるため、通う度に3人に「幸せ」とは何か尋ねながら、自分なりの「幸せ」の答えを見つけようとする。
というのがこの作品の大筋です。
人生とは
人生とは、人生とは。
主人公菜ノ花がしょっちゅう口にするこの「人生とは~」というフレーズの口癖はスヌーピーで有名な「ピーナッツ」の漫画の主人公、チャーリーブラウンが言うジョークをまねたものだそうです。以下本編から引用しました。なぞかけみたいなこのフレーズ、素敵ですよね。
人生とはすばらしい映画みたいなものよ
うーん。あなたが主人公ってこと?
お菓子があれば、一人でも十分楽しめるってことよ
そしてよく口にするフレーズはもう一つ。
菜ノ花が本編中に何度も歌っている、365日のマーチの歌詞、幸せは、歩いてこない。
この作品のテーマでもある幸せの見つけ方の答えのような歌詞。すごく素敵な歌詞ですよね。
南さんとのこと
南さんとは廃墟で出会います。人気のない廃墟に、尻尾がちぎれた友達が入っていくと、手首にカッターを当て、血を滴らせた南さんと出会います。
最初は驚く菜ノ花ですが、小説を書いているという南さんにぐいぐい話しかけていき、いつしか仲良くなっていきます。
しかし、ある時を境に突然南さんには会えなくなります。それは菜ノ花が両親と喧嘩をして、仲直りした時。
ここからは結構なネタバレになります。
なぜ南さんが消えてしまったかというと、南さんは菜ノ花自身だったからです。両親と仲直りできずに、両親が事故で死んでしまう世界線とでも言いましょうか、だからその心配のなくなった菜ノ花の前から南さんは消えました。
アバズレさんとのこと
出会った時系列からすると、南さんよりも前に出合っているアバズレさんですが、尻尾のちぎれた友達である黒猫と出会った日、怪我をしていた黒猫を助けてくれた事がアバズレさんとの出会いでした。
アバズレさんともたくさんのことを話し、仲良くなりますが、アバズレさんもあるとき気が付いてしまいます。目の前の少女は自分なのだと。
アバズレさんは人と関わらないことを選んだことを悔いていました。そして、菜ノ花に人と、クラスメイトとかかわることの大切さを教えてくれます。
そして、クラス名の桐生君と友達になれたことで、アバズレさんは消えました。
おばあちゃんとのこと
南さん、アバズレさんとの事を経て、おばあちゃんも、ついに消えてしまうときが来るのですが、おばあちゃんは2人と違って随分と幸せそうな印象でした。
でも、おばあちゃんの家に飾ってある絵は、友達が描いてくれた絵だと言いました。「LIVE ME」とサインのある絵。
おばあちゃんは菜ノ花と別れるとき、「人生とは…」と菜ノ花に伝えてくれました。
最後に
読み進んでいくうちにどんどん謎が解けて、わかっていくたびに、菜ノ花を応援している自分が居ました。
僕は小説を電車の中で読むことが多いのですが、何回か胸にこみあげてくるものがあって、涙をこらえるのが大変でした。笑
そして最後に、菜ノ花の存在さえも、夢であることが明かされます。南さん、アバズレさん、おばあちゃんがそれぞれ口にしていた「また、同じ夢を見ていた」その夢こそが、小学生の頃の菜ノ花が体験した思い出と繋がっているという不思議な物語でした。
目を覚ます大人の菜ノ花が、桐生君から絵を譲り受けます。桐生をローマ字で書くと「KIRYU」kill youと発音してしまうことで英語圏の人を驚かせないようにさかさまに意味を変えた「LIVE ME」とサインを加えて。
「また、同じ夢を見ていた」
心が洗われるというか、とても心地の良い作品でした。
公式のリンクではないのですが、BGMはこちら、水前寺清子さんの歌、356日のマーチで締めくくろうと思います。
しっあわせはー、あーるいーてこーない♪