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【感想】劇場アニメ-君の膵臓をたべたい-

今回の記事はこちら劇場アニメ「君の膵臓をたべたい」の感想を書いていこうと思います。

MEMO

・住野よる氏原作の小説「君の膵臓をたべたい」の劇場アニメーション作品です。
・牛嶋新一郎監督作品で、公開は2018年となります。
・制作はスタジオヴォルン
・配給はアニプレックスです

アニメ公式ウェブページはこちら

劇場アニメ「君の膵臓をたべたい」本予告

© 住野よる/双葉社  © 君の膵臓をたべたい アニメフィルムパートナーズ

ネタバレご注意!

本記事では内容に触れております。まだ未視聴の方はご注意ください!

早速ですが、感想を書いていきたいと思います!

まず最初に言わせてくれ

控えめに言っても最高
いやほんと、「最高」よりも上の言葉って何かないんですかね?最高じゃ全然足りない。笑

すでに原作小説も読んだのですが(※)、映像化がここまでクリティカルに心に来たのは久しぶりな気分です。

映画を見終わった後に自分以外のお客さんも感じてたみたいで、
「よかったわー」「オレ泣いちゃった」という声が所々で聞こえました。
実際、良い映画って見た後何となくお客さんのリアクションと自分の気持ちがリンクしているのがわかりますよね。
冒頭からこれだけ言ってますがほんと最高でした。
すでに原作を読んでいるので、読んだ人間の感想として見ていただけたら幸いです。
さっそく感想を書いていきたいと思います。

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※原作の感想を書いた記事はこちら!

あらすじ

彼女は言った。

「君の膵臓をたべたい」

春。まだ遅咲きの桜が咲いている、4月のこと。
他人に興味をもたず、いつもひとりで本を読んでいる高校生の「僕」は、病院の待合室で、一冊の文庫本を拾う。

手書きの文字で『共病文庫』と題されたその本は、天真爛漫なクラスの人気者・山内桜良が密かに綴っていた日記帳だった。

日記の中身を目にした「僕」に、桜良は自分が膵臓の病気で余命いくばくもないことを告げる。

それは、家族と医師以外には病気を隠している彼女にとってただひとり、秘密を共有する相手ができた瞬間だった。

最期の日が訪れるまで、なるべくこれまでどおりの日常生活を送りながら、やりたいことをやり、精一杯人生を楽しもうとする桜良。
そんな彼女の奔放な行動に振り回され、「僕」の心は少しずつ変化していく。

――それは、「僕」の春の思い出。
彼女の一生の思い出。

© 住野よる/双葉社  © 君の膵臓をたべたい アニメフィルムパートナーズサイトから引用

まず最初に思ったこと

キミスイだ。

は?って話ですがそうなんです。ちゃんとキミスイ(君の膵臓をたべたい)なんです。
何がというと、桜良が。僕が。恭子が、ガム君が。想像していたイメージにピッタリリンクしてくるんです。
ああ。これ。こういうのを想像していたんだ。小説の文字を追うたび、ページをめくるたびに感じていた情景が、表情が映像で答え合わせを…いや、それ以上でした。

間、そして演出

実写の映画も原作と少し違うようなのですが、アニメ版も原作と演出が異なる部分がいくつかありました。
例えばトレイラーにもある花火を見るシーンや、ガム君との関係性の変化のしかた(原作ではガムを受け取ることはありませんが、ガムを受け取るシーンがあります)
恭子とのやり取りも原作と少し異なりました。しかしそのやり取りのすべてがアニメ版ではポジティブな演出がされていて、より見やすくプロットを調整されている印象を受けました。

それから、特に僕が感じたのは「間」でした。

この「間」の取り方が本当に素晴らしかったです。なにが間だよと思われるかもしれませんが、テレビなどでよく芸人さんが口にしている印象のこの「間」。

会話のやり取りで笑いをとるプロが笑いの命とも言っているこの「間」は時間が関係している作品(映像、音楽、アニメーション、漫画、演劇)など、すべてにおいて非常に命と呼べる部分だと思います。

僕は以前友人とお笑い芸人の漫才の4分ほどのネタを丸々1本自分たちで喋ったものを録音して聴いたことがあります。

正直ひどかったです。
全く同じセリフなので、シナリオ自体はプロと同じものに間違いはないんです。
にもかかわらず聞くに堪えない。それは「間」の取り方が最低だったからなんです。

「間」は開けすぎても短すぎてもいけない。
会話をしていて自然に聞こえる間隔の取り方。それが通常の「間」です。

でもシーンによっては食い気味に、あるいは逆にあえて間を置くことで興味を引き付けることができます。
アニメのキミスイではシーンとシーンがつながる「間」の取り方がすごく自然で。どの場面も本当に自然に見ることができました。
であるからこそ全体を見た感想としても長く感じることもなく、また、早足になってしまう印象もなく、非常にピッタリした時間の流れを感じることができたから、どのシーンでも自然な感動が産まれたのではないかと思います。

でもなぜここまで小説のイメージとリンクできているんだ?と思いましたらパンフレットに答えとも呼べる記述がありました。
原作者の住野よるさんがセリフは全チェックしたうえ、絵コンテも確認、監修をされていたそうです。なるほど!笑
もちろん監督やスタッフさんの技術であることは言うまでもないですが、ほかでもない原作者がシナリオ制作にここまで関わっていたんですね。
どうりで最高なわけじゃん。

映像の表現

画面の作り方について思ったのは原作イラストのloundrawさんの絵のような逆光の演出を意図している場面が印象的でした。
特に桜良が浜辺を歩いているシーンがあるのですが、背景の海をバックに夕日で桜良が逆光になっています。水面の光の反射がとてもきれいでした。

また、購入したパンフレットに牛嶋監督へのインタビューがあったのですが、そこであえてloundrawさんの絵の印象に近づけるために監督は影(陰)に色を付けていると言っていました。
僕も絵を描くときにこれは迷うところなのですが、現実の陰って大抵は光が何か物質に反射した光が入っているので黒くなる陰ってほぼないんです。
でも黒く描いても違和感が生まれるわけではないので短縮されてしまうことが多いのですが、そこをあえて取り入れることで、より現実のような光の印象に見えるように作られていました。

カメラのカットも望遠レンズを意図したレイアウトも取り入れたと言っていました。
望遠レンズとは字のごとく望遠鏡と同じ原理のレンズで、わかりやすいところでは横スクロールテレビゲームのイメージでしょうか。
背景も人も平たい板を正面から見ている感じ。遠近感がすべて重なり(近いもので遠いものが隠れる)と空気感(遠いものは白っぽく)だけで表現されている状態です。
なので拡大しても迫力は生まれず、その代わりにドラマチックな印象になります。人間の肉眼では味わうことの難しい表現なので、僕はとても好きです。

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loundrawさんの公式サイトloundrawblr.tumblr.com

印象に残ったシーン

そうですねー…やはりアニメにしかない花火のシーンでしょうか。
あのシーンはやられたと思いました。原作でも結構重要なシーンなのですが原作の場合病室でのシーンなので、演出としては淡々としてしまう気はするんです。
そこであの花火ですよ。やってくれますよねー!!

主題歌をうたうsumikaが最高

劇場アニメには割と珍しいオープニングがあり、エンディング、挿入歌もすべてsumikaが担当しています。

最近のアニメ映画だと挿入歌とマッチしている演出が話題を呼んだ「君の名は。」がありますが、僕の中ではそれを超えてしまうくらいsumikaの歌が作品にピッタリでした。
CMやトレイラーでも流れているあの曲です。
今もyoutubeでsumikaのファンファーレを聴いてます。そして何より、エンディングの春夏秋冬が良かったなぁ。

最後に

今回はあまりにも感動しすぎて長い記事になってしまいました。笑
この記事の長さから、僕の興奮が伝われば幸いです。

それから、映画の入場者に配っている住野よるさん書き下ろしの「父の追憶の誰かに」という短編小説はめちゃくちゃ胸アツですよ。
「父」って?「誰か」って?ええ。そういう視点から書かれたそういうお話の短編小説です。

最後に、本当に本当におすすめできる素晴らしい作品でした。
改めて、激押ししたい映画です。記事を読んでいただいてありがとうございました。

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