今回の記事はこちら小説
「ブギーポップ・ビューティフル パニックキュート帝王学」の感想を書いていこうと思います。
- 著者は上遠野浩平氏
- イラストは緒方剛志氏
- 発売は2018年4月10日
電撃文庫公式ページで冒頭文立ち読み可能!
ネタバレご注意!
本記事では内容に触れております。まだ未読の方はご注意ください!
早速ですが、感想を書いていきたいと思います!
読もうと思ったきっかけ
ブギーポップシリーズに出会ったのは厨二…中2のころ。
厨二の同級生から「VSイマジネーター」を進められて一瞬ではまったのがきっかけです。
※彼には心から感謝しています。できる事なら会ってお礼が言いたい。
それからずっとブギーポップの小説が好きで、新刊が出るたびに追っかけています。
あらすじ
僕はパニックキュート。
人々の間に混乱と恐怖をまき散らして、その後で安心させて社会を安定させるのが仕事だ。人間なんて目先の感情でしか動けないんだからチョロいもんさ、って思ってたんだけど、どうも変なヤツがいるらしい。
人が人生で一番美しい瞬間に現れる死神が、この支配を揺るがす可能性があるみたいなんだ。女子高生の噂話の中でしか現れない、そいつの名はブギーポップ。ここはヤツと直に話をつけなきゃならないようだね。
手伝ってくれないか、末真和子さん__人類を過剰進化から守護する統和機構にあっても異質な能力が、都市伝説の黒い影を追うとき、取り返しのつかない虚無への扉が開く。奇妙な帝王学に導かれた異形の観念のもとで、世界が選ぶのは透明な絶望か、無明の死神か……?
(c)KADOKAWA CORPORATION 2018サイトから引用
まず最初に思ったこと
この味ですわ。
もうね。文章の進め方といい、癖のあるキャラクターの思考といい上遠野ワールドを感じると、
昔から好きな食べ物を口に入れた瞬間の安堵のような気分になります。
読み始める前から、読み終わりたくない気分にさせてくれます。しかも今回ページ数がちょっと少ないので、
「あーこれだけしか読めないのかー」なんて思いながら読み始めました。
パニックキュート
パニックキュートとはこの物語の重要人物で、「人が最も美しい時に、それ以上醜くなる前に殺す」とされるブギーポップと真逆の思想を持ちます。
「世界には、あるべき美しい姿がある。それから外れたものは醜く腐り落ちる前に排除しなければならない」…
美しい最高潮に摘み取る死神と、美しくなくなったものを排除する帝王。どちらの考え方が正しいんでしょうか。
いや、正しいという概念なんてそもそも的外れなのかもしれませんが。
しかしパニックキュートは統和機構の重要人物だったようですが「統和機構」っていまだ謎の多い組織ですよね。統と和ってなんか逆の意味な気がするのは自分だけでしょうか?
それとも統制することが和であると。…そういう考え方なのかな?確かに絶対権力を持っている何かが統治しないと秩序って保たれませんものね。
末真和子
昔からちょいちょいブギーポップシリーズに出てくる登場人物ですが、主人公として描かれるのはこれが初めて…なんじゃないですかね?
エンペロイダー以外読んでるはずなんですがぼんやりとしか覚えられてない。笑
彼女は頭の回転が速いだけに今回はパニックキュートから注目されてしまいます。
ネタバレなのですが、厳密にいうとパニックキュートは物語が始まった時点ですでに死亡していて、この物語に出てくるパニックキュートは彼の側近だったマロゥボーンがパニックキュートを演じていた存在。つまり本当のパニックキュートではなく、マロゥボーンの別人格とでもいうべき存在です。
帝王学
今回の物語のテーマである「帝王学」。
古くは1000年以上も前?の時代からこの概念はあったようですね。
学問というよりは、多くの人を統治するための教育法とでもいうのでしょうか。
一般人の我々にはあまり縁のないものなのかもしれません。
でも国、時代は違えど、様々な「帝王学」が存在していたようですね。
人々を統制するにはコツがあり、そのコツをノウハウとして時の英雄と呼ばれた人たちは育てられてきたということなんですね。
そして本作品の最大の敵、パニックキュートが提唱する帝王学とは「恐怖と魅力」を振りまくこと。
これは本物のパニックキュートが過去にマロゥボーンと話しているシーンでしゃべっていたことなので間違いはないようなのですが、
マロゥボーンの解釈による「恐怖と魅力」の振りまき方が、ブギーポップから「美しい」と判断されてしまったわけです。
結果としてマロゥボーンは例のごとくワイヤーに八つ裂きにされてしまうわけなんですが、どうも引っかかるのは本物のパニックキュートの定義している「美しさ」や「帝王学」があいまいなままということです。
僕の見解ではパニックキュート自身は世界の敵になりうるような描写はなかったし、生きていた当時に彼と話していたシーンでカレイドスコープが彼を敵対視していなかったのに対し、マロゥボーンの演じるパニックキュートに対しては、「相いれなかった」としています。
また、物語の中でブギーポップが「僕が殺したんだよ」と言っていましたが、カレイドスコープは病死と言っていました。
おそらく、本物のパニックキュートは病死で、ブギーポップはつまるところ彼を「美しい」と言いたかったのではないでしょうか。
だけどブギーポップが実際に彼を殺していなかったとすると、パニックキュートは「世界の敵」にならずに世界を統制する方法。つまり「パニックキュート帝王学」を明確に導きだせていたのではないかと思ってしまうのです。
印象に残ったシーン
最後に末真和子が夢の中でパニックキュートと会話をするシーンがあります。
その夢の中でパニックキュートは末真和子に「きっと会うよ。また出会う。」と言っています。
パニックキュートが残した本物の「パニックキュート帝王学」に末真和子が出会うときがくる。という事は、志半ばで叶えられなかったパニックキュートの夢をいつか末真和子が叶えることになるのでしょうか?
そしてその時、ブギーポップは末真和子を「美しい」と判断するのでしょうか。
最後に
最近のブギーポップはどちらかというと能力バトルに寄っていた気がしていたので、今回の物語はとてもブギーポップたる内容な印象でした。
ページ数自体は結構少ないのですが、とても楽しめました。
実は「ブギーポップ」が「世界の敵」と判定しない方法で世界を統治できる存在を、「統和機構」も追い求めている気がして…?
いやいや。憶測が過ぎるだろ。ブログとはいえいい加減にしろよ。…まぁいいじゃん。
『美しさは常に恐怖と表裏一体である。
ただしその恐ろしさが美を上回ったとき、すべての調和は崩れ去り、後には無残な抜け殻だけが残る。
それはもはや醜悪ですらなく、ただただ無意味な空回りでしかない』
_____霧間誠一(完璧な不条理)
電撃文庫(ブギーポップ・ビューティフル パニックキュート帝王学)より